劇場版『ゾンビランドサガ ゆめぎんがパラダイス』を見てきたのでその感想を書く。
ゾンサガらしい予想を裏切る面白さと山田たえにフォーカスした涙腺にくる話だった。私はちょっと泣いた。
映画のあらすじ:お話の基本構造は変わらない(ネタバレなし)
映画のあらすじは、ゾンビのアイドルグループ「フランシュシュ」のライブをエイリアンが邪魔してきたので倒してライブする。既に公開済みの情報と鑑賞者が期待する展開をそのままなぞっている。今までのTVシリーズであったようにライブの邪魔をする役割が一期ではさくらの記憶喪失で、二期では洪水だったように今回はその役目がエイリアンになっただけで話の基本構造は変わらない。特段巧妙な仕掛けがあるわけではない。
ただ今作で何より語るべきなのはやはり山田たえの生前の記憶が戻るということだろう。ここが今作のキーポイントだ。
以降はネタバレに触れざるを得ないので一旦ネタバレなしで書けることを書く。
Q: 劇場版初見でも問題ないか?
A: 全く問題ない。始まって少ししたら劇中で今までのあらすじが流れるし、ゾンビランドサガシリーズの話の基本は「ゾンビがアイドルでライブする」これに尽きるので。
Q: 初見で特にどんな人におすすめ?
A: オリジナルのアニメ作品で他では見られないようなものを見たい人。ゾンビとアイドルあとエイリアンというどれかのキーワード一つでもピンと来たなら行く価値があります。
アイドルという生き様と人間としての死に様(ネタバレ大有り)
冒頭に書いた「山田たえにフォーカスした涙腺にくる話」というのはまさにこの部分である。
山田たえの生前の話は本編のキャラデザを務めた深川可純さん自らが描いた漫画『ゾンビランドサガ外伝 ザ・ファースト・ゾンビィ』が詳しく、ここで山田たえの生前の夢はアイドルであることが明かされている。
「伝説の山田たえ」として死後ゾンビのまま意識のない状態でその夢を叶えた山田たえだったが、今作ではエイリアンの宇宙船の動力源を食べてしまったことで偶然にも生前の記憶を取り戻す。が、エイリアンを倒すためにそれを取り出して使う必要があったので取ったら元の状態に戻ることなので然り生前の記憶が失われてしまう。
ただその失われ方が切ない。山田たえ自身は当然分かっていてフランシュシュのメンバーも察していたのだろう、山田たえとして臨むラストライブの中で彼女はみんなに感謝の念を抱きながら元のたえ・伝説の山田たえに戻っていく。
その様は言わば山田たえとして生き直しであり、生前の無念・サガの繁栄を果たすことそしてアイドルになるという夢どちらともを叶えた上での死に直しである。人生として過去の後悔・アイドルを目指さなかったこと、将来の憂い・佐賀が繁栄するのかといったどちらともを完全に払拭した上での大往生である。これ以上ない人として最上の死に様だ。私はその死に様を見て幸福の中で逝けて良かったなと思うと同時に、自分はこんなに後悔なく死ぬことができるだろうかとも思った。
これを書いている私は人間だ。AIや、ましてやゾンビではない。私は人間・いつか死ぬ定めにあるものとして、こういった本当に悔いのない人生を送って死ぬためにはどうしたら良いのか、といったことを山田たえの死に様そしてフランシュシュが「アイドルという生き様」を貫き通す様を見て思う。
私が腑抜けていた時期にゾンビランドサガ・フランシュシュはその生き様・生きているということはただ「ある」のではなく「する」ことなのだ(第一期OPの二番にあるフレーズ “枯れても走ることを命と呼べ” が象徴的)ということを示し喝を入れてくれた。そして今作では山田たえの死に様を通してあなたはこのように後悔のない人生を生き満足の中で死ねるかという問いを投げかけ自身の人生を見つめ直す機会を与えてくれているように私は感じた。
こうしてゾンビランドサガがこれまで私の人生の羅針盤であったようにこの劇場版も私にとっての指針になったのだ。
フランシュシュのこれから
さて劇中では全世界同時ライブで世界デビューを果たしたとも言えるフランシュシュだが一方現実の方では、というところである。
私は第二期放送後にあった幕張メッセでのライブに参加していたので、やはりあの場で聞いた「武道館」という夢をまだ抱いている。とはいえそんなに夢物語というわけでもないと思う。ライブ会場のキャパシティは段々とグレードアップしているっぽいので次の入りがよければその次であり得る話なんじゃないかなと思っている。
最後に:一つわかった小ネタ
ゆうぎりが宇宙船から脱出する際に出入り口をランチャーで吹っ飛ばしたときのポーズはデスペラード撃ちだと思う。
というわけでとても面白いゾンビランドサガの劇場版だった。
次のライブそしてその次に武道館とまだまだこれからのフランシュシュ・ゾンビランドサガに期待している。